EDAYA JOURNEY展

 

2013年3月20日〜3月30日、六本木ストライプハウススペースにて、伝統音楽や無形文化についての現地調査の結果を発表する、「EDAYA JOURNEY」展 vol.1 Soul of Kalinga Music を実施。

 

*2013年3月1日付のEDAYA JOURNEY展プレスリリースはコチラよりご覧いただけます。

今回の展覧会では特に、カリンガ族の竹楽器に着目し、映像と写真でその未知の世界に迫ります。EDAYAを主催する山下彩香とエドガー・バナサンが、2012年12月から1か月にわたり、現地で取材した竹楽器の貴重な演奏映像も公開予定です。近代化により失われつつも、今なおその輝きを失わない、秘境の地に生まれた音楽の数々をぜひご堪能ください。

11日間の会期中はその他にも、フィリピン現地より来日するエドガー・バナサンによる竹楽器制作ワークショップや、多彩なゲストをお迎えしてのイベントも開催予定です。イベントでは、フィリピンのみにとらわれない、「無形文化継承・モノづくり・アート」に関連する様々なテーマを展開します。

EDAYA JOURNEY展 開催概要

■  会期:2013年3月20日(水)〜3月30日(土) 11:00-18:00 (夜のイベントは19時~22時)
■  会場:六本木ストライプハウススペース
(〒106-0032 東京都港区六本木5-10-33ストライプハウスビル)
■  入場料:無料(イベントは有料)
■ 主催:EDAYA JOURNEY実行委員会
■ 共催:六本木ストライプハウスギャラリー

Exhibition General Information

■  Exhibition Period:March 20(Wed)― March 30(Sat),2013
■  Open Hours: 11:00-18:00 (Night events are from 19:00.)
■  Venue: Roppongi Stripedhouse Space
■  Admission:Free of Charge
■ Organizer (Host):EDAYA JOURNEY committee
■ Co-host:Roppongi Stripedhouse Gallery

(主な展示内容)

・現地の伝統楽器の名手について、その演奏・ライフストーリー取材の映像・写真
・詠唱の名手の唄・ライフストーリー取材の映像・写真
・フィリピン・北ルソンの紹介映像・写真
・EDAYAの楽器 / ジュエリー

(EDAYAミュージアムショップ&カフェ)

EDAYA作品、関連小物などの販売、カフェ

(展覧会内イベント)

★昼のイベント★
3月23日(土)15時開場
映画「HAPPY – しあわせを探すあなたへ」上映会&スペシャル対談

3月24日(日)13時開場
EDAYA CAFE with輪茶和茶〜無形文化をみつめる〜

竹楽器制作ワークショップ
会期中、3月24日を除く毎日開催

★夜のイベント★
3月21日(木)19時開場
東京楽竹団・duo edayaライブ~World of 手作り竹楽器~

3月22日(金)19時開場
無形文化に魅せられた3人の愉快なトークショー&交流会

3月25日(月)19時開場
「竹工芸家と竹を味わいつくす」トーク&ワークショップ

3月26日(火)19時開場
自分なりの一歩を踏み出し、形にするためのヒント 対談&交流会

3月27日(水)19時開場
NGOか?企業か?フェアトレードに臨むスタンス

3月28日(木)19時開場
「伝統をデザインすることを考える」トーク&ワークショップ

3月29日(金)19時開場
テニスコーツ・duo edayaライブ

-今後の展覧会の予定-

2015年初夏に第2回目となる EDAYA JOURNEY展を開催予定です。なお、展覧会制作に興味のある方を募集しています。

◆記録音源◆

*『J-WAVE「atelier nova」』の「antenna Marble Palette」のコーナーでEDAYA JOURNEY展をご紹介いただいた際の音源

3月末に行ったEDAYA JOURNEY展の開催概要についてラジオにてご紹介いただきました。3月23日土曜日公開。ナビゲーターは、クリス智子さん。カリンガ族に伝わる楽器の1つ、トガトンの演奏を冒頭でお聞きいただけます。

 

 

◆展覧会の背景とご報告◆ (2013年4月19日Ready for記事より抜粋)

本展覧会は実は私たちにとっては、初めての個展でした。様々な方のご好意もあり、なんと六本木という立地で、しかも2階分のフロアを全面的に使った展覧会を実現するチャンスをいただいたものの、すべて初めてで、わからないことだらけ。実は相当なプレッシャーのもとでの、今回の展覧会でした。

展覧会会場であった、六本木ストライプスペース。若き日の岡本太郎さんも展示をされたような由緒ある会場です。実は、今回の展覧会は、構成という面では、まさに、EDAYAの魂そのもの、でした。そのくらい、情熱を傾けた展覧会だったんです。10月中旬の日本でのブランドお披露目を終えてすぐの10月末、展覧会を行うことが決まった時は、まだ私たちがブランドとしてローンチしたばかりであったいうこともあり、EDAYAがすでに商品として出しているものを展示する、展示会のようなものにしましょう、というのが皆さんのご意見でした。でも、せっかくのこんな、またとない機会。私はどうしてもどうしてもやりたかったことを、この機会にやることを無謀にも提案したのです。

10月に行ったローンチイベントの様子①

さて、それは、本当に無謀でした。というか、そもそも、無謀であることを知っていたから、ブランドのローンチ前にはできなかったことでもあったので・・・。しかし、展覧会という機会を頂いたとき、私はやるなら今しかない、と思ったんです。

それは、現地の伝統音楽の今を本気で調査するということ。記録を作るということ。ブランドのデビューにあたって、作品の背景としたのは、訪れたこともあったEDAYAの工芸家バナサンさんの出身の村の文化でした。ただ、村ごとに少しずつ文化の異なるカリンガにあって、一つの村のストーリーだけで、すべてのカリンガを語ることは危険だということは、私の頭の中に常にありました。でも、ブランドはブランドで一度形にしたい。そういったジレンマの中、まずは、バナサンさんの村のケースをベースにブランドをデビューさせたのです。

しかし、EDAYAというブランドの「無形文化継承×ものづくり」というモデルを本気で実証していくのなら、その根本となる「無形文化」(特には商品としても扱っている楽器)については、「文化」というものを扱う者の責任として、また、それを商品と共にプロモーションしていく立場として、だれよりもきちんと把握しておかないといけないという意識は強烈にありました。そして、なにより、失われつつある無形文化の今を、もっともっと深く知りたいという思いがありました。全てはその上での活動であるべきだと。

私は表層だけを知って物事を言うことは好きではありません。自分が主催することであるならば、なおさらです。展覧会の企画を頂いたのは、だから、私たちにとってとても良いタイミングでした。ブランドのお披露目が終わり、次の目標が必要で、そんな時に頂いた挑戦の土俵だったのですから。

デビュー後に参加したファッションブランドが集まる展示会で、こんなことがあったのも、調査のモチベーションとなりました。既存のブランドの表現方法だと、どうしても表層部分しか伝わらない見せ方にならざるを終えないところもあり、そうではない、EDAYAらしい商品の見せ方を提案するには、ストーリーと商品を重層的に体感できることが大事だと。2フロアという非常に広いスペースは、それを可能にしてくれました。EDAYAのすべてをここに詰めたいと、そう本気で思いました。

決断したらあとは早いのが私です。皆を説得し、12月~1月の調査を実施しました。

調査もハブニングだらけで大変でしたが(これは後日またレポートします。)、準備には最後までおわれました。展覧会ギリギリの3月15日まで粘って、フィリピンに滞在し、最後の作品の詰めを行いました。そして、日本にもどってからは、展覧会中に行うイベントの最終打ち合わせ。あっという間に準備、そして、オープン。

一階吹き抜けの会場では、調査の結果を写真と映像で展示しました。展覧会内イベント、テニスコーツとのライブではここも会場となりました。

調査で撮りためた映像を発表。これはまた、本プロジェクトで現地に戻る際、村で上映します。

地下へ降りるとそこはEDAYA ワールド。1階で十分にカリンガの文化について感じていただいたあと、そんなカリンガの文化に対するEDAYAの挑戦ということで、インスタレーションとともに、作品を発表しました。

EDAYAでデザインした楽器もインスタレーションに組み込みます。

奥に見えるスペースを使って、会期中11日間毎日イベントを開催。

演奏したり、

語ったり、

学んだり、

集ったり、

作って、遊んだり。

終わってみるとあっという間でしたが、こんなにたくさんの人に支えられ、また、出会うことのできたこの機会は私たちにとっては最高の経験となりました。

この展覧会の燃え上がるようなあつさを、私たちは、5月、現地に持ち帰ります。

それが、調査したときに現地の人と交わした約束だから。 I shall return と。現地の人たちの宝物の文化を、外で発表して、また現地に持ち帰るという行為が、現地の若者の関心を少しでも引くことができれば。また、こんなにも沢山の日本の人が関心を持っていることを伝えることができれば。日本とフィリピンの架け橋にもなれたら、いいな。そんなことを思っています。